2011年4月5日火曜日

公共とパブリック

前回の公共の話の続きです。もともと日本でいう公共は英語圏のPublicを翻訳して生まれたと言われていますが、西洋でのPublicには元来「公開性」、「共通性」、「誰でもが参加出来る」という意味が備わっているそうです。現在日本でいうところの公共という意味は少なくとも本来のPublicの意味内容とは異なる部分があるようです。官から民に施しているような一方向のサービス、これを公共と受けとめがちですが、今回の東日本での大災害に対してもこうした公共のサービスがどこかで一方向に扱われているような気がします、勿論今回のような災害時と平時同じ土俵で公共のサービスの質が問えるか、という意見もあるでしょうが、僕は基本的に災害時だからこそ通常の公共の意味や質を問いなおす良い機会ではないかと考えています。そんな中、公共と地域、サービスの質について今朝の朝日新聞に目に留まる記事が2つ掲載されていました。一つは建築家 山本理顕氏と横浜国立大学の大学院生による仮設住宅計画の提案、→http://www.y-gsa.jp/topics/2011/03/post-11.html、建築の計画学にはこうした被災時の計画というのはおそらく防災などの系統はあるかと思いますが、建築の計画上の追及は非常に乏しいと思われます、ここではハードの質も踏まえていかにコミュニティを抱き込みながら仮設住居が成立するか、ということが江戸時代の長屋のような佇まいと相まって絵で紹介されています。仮設住宅計画論として立証していく価値のあるチャレンジだと思います。もうひとつは批評家 濱野智史氏による「スラックティビズム」。ゲーム感覚での「お気軽な事前活動」をネット時代の新たな「善意の連携」と読み替えています。ここにも僕はこれからの「公共」を支える重要な指摘があるように思います。ゲームやアニメで語られてきた手法などどこか軽視されがちな方法がある時子供から大人までだれもが参加出来る、と言う意味においてこれまでの公共がサービスしてきたものとは質の異なるものが一気に提供できる可能性を示しています。メディアと公共の関係を考え直すとても有意義な視点だと思いました。 公共について考えること、これは今回の震災について考えることにも繋がっています。これからの公共のサービスを支えるものが何か、地域と公共の関係について少しずつ話を繋げていきたいと思います。

2011年4月1日金曜日

コラム開始!

コンテンポラリーズのHPがリニューアルしました。今後出来るだけ多くの人に僕自身が普段考えていることや現在行っていることをメッセージとして分かりやすく届けていきたいと思っています。まずは東北関東大震災の被害に遭われた方やそのご家族、ご友人に心からお見舞い申し上げます。建築家の友人たちですでに被災された方などの支援にアクションを起こしている方もおります、そういった方の活動もこのコラムで取り上げていきたいと思います。
 昨日まで横浜BANKART SCHOOLで建築家の佐々木龍郎さんや馬場正尊さんらがコーディネーターとなり「これからどうなる横浜」という大命題のもとこの一カ月ほど週一回のペースで様々な分野で活躍している方をゲストにお呼びしながら70名近くの人たちが熱く横浜をより面白い街にするための議論を繰り返してきました。
僕は塩尻の経験も踏まえながら今自分の関心が「公共と地域」に向かっています。この話を掘り下げていくためにBANKARTSCHOOLでは「公共の再定義」というグループで議論してきたことをすこしずつ紹介したいと思います。そこから少しずつ話を展開してゆきたいと思っています。おそらく途中で寄り道も沢山するとは思いますが、次回まずはこの話からスタートします。