2014年3月28日金曜日

逗子市小坪大谷戸会館オープン

 先日コンテンポラリーズで設計・監理させていただいた小坪大谷戸会館の引き渡しが無事終わりました。公民館のような小さな公共施設です。この施設は2011年、ちょうど3.11の大震災の年の夏に公開で行われたプロポーザルで選定された建築です。当時考えていたことは出来るだけ現場から無駄なごみを出さないように、910x1820mmというモジュールを原則にして淡々としたシステマチックな架構を谷戸をつなぐようにかけ渡してゆく、といった単純な構成でまとめる、といったことです。あまりドラマチックな表情も、特殊なディテールのない、極めて普通な収まりでどこまで地域に開かれた建築が作れるのか、という隠れた主題がそこにはあったかのように思います。4/3には市長をはじめ多くの方
が訪れいよいよオープンです。
オープンする前に市長と現場で直接話す機会がありました。建設途中での予算削減や議会とのやりとりなど市長にとっても思い出深いものとなった、という話がありました。この建物は地域の方々が運営・管理を委託され(指定管理者制度)今後地域によって営まれていくことになっています。谷戸という独特の地域性も孕みながら少しずつ公設市民営が実現されていうことを願っています。僕自身も小さいころからこの地域を知っているだけに今回は格別な思いです。

プロポーザルの講評はコチラから→
http://www.city.zushi.kanagawa.jp/global-image/units/11417/1-20121205104415.pdf

2013年1月25日金曜日

コミュニティと個の狭間で(釜石市復興住宅プロポーザル(小白浜地区)最終審査を経て)


 先日岩手県釜石市の唐丹地区小白浜(こじらはま)
町で復興住宅プロポーザルの最終審査が行われました。
最終5案に残り、そのプレゼンテーションの為に
行ってまいりました。詳しい公表などはこちら(かなり下の方)に掲載されていますhttp://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/12,22371,31,164,html
わたしたちコンテンポラリーズの案は商店街と
連続する通りに対してできるだけ地域と住民に開かれたコミュニティを再生するために「屋根」をひとつのテーマにまち全体に繋がるような構成を提案しました。結果は残念ながら落選。5社ともとても熱がこもっているいい案でした。僕としてはおそらく本当にどれがとってもそれなりに納得できるものでした。しかしながら最も大きな違いは何か。今回上位2点と下位3点というように実は大きく分かれています。これは何か。上位2点の案は海側に対して住戸が開いており、下位3点は何かしらコミュニティを誘発させるものが住戸間、もしくは住戸の前に設えてあります。サルハウスの案がおそらくこの5案の中で最も中立であったかと僕には思えます。
つまり個々の生活の充実の上に成立するコミュニティというものがこの小さな町ではリアリティであってコミュニティを充実させることが個々を元気づけるわけではなかった、という風に理解しました。1等案はその辺をとてもうまく解いているように思えました。2等案も地元の地形やコンテクストを読み解きながら穏やかではありながらいろいろチャレンジングな試みをトライしていました。僕たちは小さなまちだからこそ集合することでしか出来ない空間というものがあるだろう、というスタンスでトライしましたが審査員が想像していたものとは異なるあり方を提示してしまった、というのがこのような結果に結びついたんだと思います。反省しきりですが、今後おそらく復興住宅プロポーザルは益々困難になっていく気が同時にしました。審査員の一人、東北大学の小野田さんは「屋根の記号化」つまり復興住宅=屋根形という図式が定着してしまうと本来の住民の暮らし方やコミュニティのあり方よりもそちらの構成が重要なようにとられては困る、ということも話されていました。しかしそのこと以上に僕はどこまで地元の人たちの気持ちに近づくことができるだろうか、という問いに対する答えがこうしたプロポーザルの結果であってほしいと願うのです。釜石では山一つ越えると生活が変わるように、まち単位で住民の気持ちや暮らしが異なるので設計者として本当に入念に調べ上げるか、すべての想像力を駆使してその気持ちになりきれるかがその「気持ちに届く」案かどうかの分かれ目になると思います。その両方が精密に求められていくことで益々厳しい条件になっていくと伊東委員長や小野田さんの講評を聞きながらひしと感じました。これは結構しんどい。しかしこの写真のように2年近くたっても自然の猛威が視覚的にさらけ出された中で毎日を生き抜いている釜石(小白浜)の人たちの営みを目の前にするとまったく愚痴っている場合ではなく、すぐに次の復興事業に関わらなくては、とも思うのです。一等になられたMa設計事務所の水上さんが最後に「ずっと復興事業に関わりたいと思って第一回目もチャレンジし、こんなに早くその機会をいただけたことをうれしく思います」と感想を述べていました。おそらく今回提案した人たち全員の気持ちを代弁した言葉であったように思えます。また機会があれば何度でもチャレンジしたいと思います。                 (潤)
 
 
 
 

2013年1月10日木曜日

立命館大学

先日京都の立命館大学に行ってきました。文学部で図書館施設論を教えておられる常世田教授に誘われて、はじめて文学部でのレクチャー。40名ほどの将来図書館の司書候補の学生さんに塩尻の図書館(えんぱーく)がどのようにして出来あがったかを映像を使って説明して参りました。とても熱心に聞いてくれていたけど、なにせ文学部の学生なので普段自分たちが使いなれている言葉、例えばランドスケープ、とかグリッドとかひとつひとつ解説しないと通じないので、結構時間がかかりました。でもこちらもとても良い勉強になりました。立命館は竜安寺のすぐ隣にあるのですが、建物がほとんど4層で出来ていて隣棟間隔も適度な距離感を保っていて、キャンパスとしてとても好感のもてるスケールとプロポーションです。学生の多さもあってなんだか普段自分が接している工学系とは世界が全く違う印象です。今度はもう少しゆっくり京都を見て回りたい。

川俣正 展@横浜 Bankart1929


横浜BankArt1929で川俣正展に行ってきました。川俣作品に初めて触れたのは1991年にドイツのカッセルで行われた展示でした。あれからずっと一貫したテーマで都市とアートの関係を再構築し続けている姿勢に敬意を表します。
1月14日まで一日だけど会期が延長されたそうなのでまだご覧になってない方、お勧めです。

BankArtの入口を覆う木製の梱包すのこの雪崩れるようなフォルムは圧巻。

2013 あけましておめでとうございます



皆さまあけましておめでとうございます。2013年があけました。
恒例の鎌倉鶴ケ岡八幡に初詣で、で歳の番号と同じおみくじ、
なんと大吉、正月早々気持ちをささやかながら盛り上げてくれました。今まで大吉は出たことなかったような気がします。

さて本年こそはこつこつとColumn欄も書いてゆこうと思います。
まずは1月1日に掲げた抱負のひとつ。

本年もどうぞよろしくお願いします。

2012年7月2日月曜日

横浜 水辺景観問題

2012年6月28日木曜日

横浜 水辺景観問題

久しぶりにブログを書いています、なんと1年以上さぼっておりましたが、少しずつ復活してゆきたいと思います。
さて今横浜の水辺空間で民間の結婚式場の出店を巡ってかなり大きな議論が展開しています。
http://sankei.jp.msn.com/region/photos/120617/kng12061717470002-p1.htm

横浜の歴史的な場所性、空間性を基軸にこれまで水辺を含む湾岸地域の“景観”を守ってきた「都市美対策委員会」という識者の集まりが横浜にはあって、この委員会の意見として「このような建物は横浜の水辺にふさわしくない」と明確に態度を表明したにも関わらず、議会がこの建物の建設を承諾したのです。
この時の都市美対策委員会vs 結婚式業者(2012年1月)のやり取りは以下の横浜市のHPで公開されています。これを読むとおおよそ事の次第がわかります。(読むのに少し時間と体力が要ります)→http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/shingikai/tosibi/ks014/

一昨年から色んな場所でパブリックとプライベートな空間の質の問題も含めて日本でいま「公共」を再定義する必要がある、と考えてきました。報告も遅れましたが今年から東京工業大学で大学院生対象の研究室をいただき、そうした研究を中心に活動を始めようとしています。→ http://www.igs.titech.ac.jp/education/enveng/info_major.php#top

公的な場所における景観や風景は市民の「共有の財産」と考えることがその地域の文化度を高めるのではないだろうか、つまり公共を考えることは街の文化と関わることに他ならないと思います。
まずは皆様にも広くこの水辺景観問題を知っていただきたく、広く意見を募りたいと思います。

2011年6月28日火曜日

コンペ

久しぶりのコラム。今年になってからいったいいくつコンペに出したろう。これは自分が伊東事務所にいたころから続いているある意味癖、のようなものだ。負けても負けても出し続けている。そんな状況でこの4月にFLICKERで事務所設立から10年のプロジェクトを整理してみた。
http://www.flickr.com/photos/contemporaries2007/collections/72157625510966481/

うーーん、よく負けたなあ、と自分でも思う。でも諸先輩に比べればまだまだときっと言われてしまうことだろう。コンペに出すには幾つか意味があるからだ。一つは自分がこだわっている地域の公共の仕事、がコンペでしか獲得できない、こと。それと自分の考えをもっともストレートに提案できるのもコンペの魅力である。またその考えが社会とどのくらいずれているのか、また一致しているのか知る絶好の機会である。だからコンペに負けても負けても出し続けるのだ。事務所の所員は現実的な仕事の合間に本当に良くやっている、彼らのエネルギーを絶対に無駄に出来ない、いつもそうやって自分を鼓舞している。コンペに勝った時はこの努力が少し報われたとほっとするしコンペ落選の通知が来たときは本当にへこむ。それでも勝った時の喜びを所員と共有できたときのなんとも言えない感覚はいつも嫌なことを忘れさせてくれる明日への推進力のようなものだ、さあまた明日から頑張ろうぞ。